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love and mercy

もしあなたが、愛し愛される人が誰もいなく一人きりだとして
たったあと何十年間かで、すべてが終わってしまう人生なら
そこで何をやったって何をやらなくたってそんなには変わらないし
いつ死んだとしたってそんなには変わらないと気づくかもしれない。
それに気づいた時に、やりたい放題やるのか?何もやる気がしなくなるのか?
自暴自棄になるのか?ただ平穏無事にやり過ごすのか?
人は希望がないと生きづらい生き物だ。
毎日が元気に過ごせてる時には、
将来の目標に邁進できてる時には、
情熱が溢れて気力が漲ってる時には、
我を忘れて何かに熱中出来ている時には、
愛する人と人生を分かち合えている時には
生きづらさ、なんてことは改めて考えもしない。少なくとも自分ごととしては。
でも、生きる希望がどこにも見つけられなくなったり、余命がわずかになったり、愛する人を完全に失った喪失感から立ち直れなかった時には
例えそれが元気な人からは藁にすがっているようにしか見えなくても
愛する人や自分が、今世で救われること。それがもう無理なら、せめてあの世や来世や復活や成仏や、救ってくれる神仏を信じていないと、人生を生き続けれなくなることがある。
そうなった人にとっては、救いはどうして起こるのか?とか、それは科学的なのか?とか、矛盾はないのか?とか、本当に神仏は存在するのか?とかの疑問や答えは意味がない。
なぜなら、その人は信じるために疑問や問いを必要としてるのではなく
ただ生きるために救いを信じる必要があるから
信じて生き続けるためには、神仏が存在することが必要だから。
そういう人達の集合意識によって、神仏への強い信仰が支えられている側面は確かにある。
同時に、信じている人達のような人生の状況になることを恐れて神仏を敬遠している集合意識もあって、
人生が生きづらくなっても、なるだけ神仏には関わらずに自力で苦難を乗り越えようとする。
最後のギリギリの所で救いを求めるのが神仏ではなく親なのが、今の日本人の特徴だという話を聞いたことがある。
自分を救ってくれる神が必要か?必要じゃないか?
でも本当のことを言ってしまえば、どちらも神への条件付けでしかない。
神への条件付けが悪いとかではなく、ただそこには欠如しやすい観点がある。
相手の観点から相手を観るという観点だ。
例えば自分の親のことを、自分を愛してくれる親が必要か?必要じゃないか?という観点から観ている限りは、親の存在を本当に観ることにはならないだろう。
そこに観ているのは自分と相手との条件付けられた関係だけだ。
親のことを親自身の観点から観たら、
親であるその人の存在は、子を愛そうとする親であり、同時に親に愛されようとする子でもあり、その両者が一つに交わろうとする愛でもある。その人には、親として子として愛として何かが足りなくても精一杯に生きる人間の自分が観えるだろう。
同じように神を神自身の観点から観ると、そこに無条件に自己充足している神の三位一体が観える。
その三位一体を、人もこの世も神もすべて条件付けて観てしまう自分に重ねた時に、無条件に愛し愛され愛し合う あなたを思い出すんだ♡
父と子と精霊の無条件の愛のトリニティ♬
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フリードリヒ

Author:フリードリヒ
大学で政治学、社会学、心理学、文化について学んでいます!
最終目標は、世界連邦共同体の設立です。
一刻も早く、誰もが幸せになれる、戦争のない、あらゆる人達の生存権が保証される世界を目指して。

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