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こうすればきっとみんなが活動してくれるだろうというアイデア

僕の最終目標は、全員がリーダーであり、プロジェクトごとに、そして一つ一つの会議ごとに、委員が選挙や、プログラムによって選出され、委員が一時的な話し合いのリーダーになるが、話し合いが終わると、普通の人に戻るという、全ての人ですべての責任を共有する、という組織を作ること(全員で責任を分担し、かつ全員が責任を引き受ける覚悟を持ち、誰もが権力を持ち、誰もが権力を持たず、どんな理由であれどんな人物であれ、権力にしがみつくことを許さないが、組織としての一体感によりつながる、新しい組織)(誰もが現状をいやがおうにも、自らの行動の責任の結果だと受け入れざるを得ない状況を作ることで、無理やりにでも、人々に現状をより良い方向へ動かす覚悟を持たせ行動を起こさせる、そんなしくみ)
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love and mercy

もしあなたが、愛し愛される人が誰もいなく一人きりだとして
たったあと何十年間かで、すべてが終わってしまう人生なら
そこで何をやったって何をやらなくたってそんなには変わらないし
いつ死んだとしたってそんなには変わらないと気づくかもしれない。
それに気づいた時に、やりたい放題やるのか?何もやる気がしなくなるのか?
自暴自棄になるのか?ただ平穏無事にやり過ごすのか?
人は希望がないと生きづらい生き物だ。
毎日が元気に過ごせてる時には、
将来の目標に邁進できてる時には、
情熱が溢れて気力が漲ってる時には、
我を忘れて何かに熱中出来ている時には、
愛する人と人生を分かち合えている時には
生きづらさ、なんてことは改めて考えもしない。少なくとも自分ごととしては。
でも、生きる希望がどこにも見つけられなくなったり、余命がわずかになったり、愛する人を完全に失った喪失感から立ち直れなかった時には
例えそれが元気な人からは藁にすがっているようにしか見えなくても
愛する人や自分が、今世で救われること。それがもう無理なら、せめてあの世や来世や復活や成仏や、救ってくれる神仏を信じていないと、人生を生き続けれなくなることがある。
そうなった人にとっては、救いはどうして起こるのか?とか、それは科学的なのか?とか、矛盾はないのか?とか、本当に神仏は存在するのか?とかの疑問や答えは意味がない。
なぜなら、その人は信じるために疑問や問いを必要としてるのではなく
ただ生きるために救いを信じる必要があるから
信じて生き続けるためには、神仏が存在することが必要だから。
そういう人達の集合意識によって、神仏への強い信仰が支えられている側面は確かにある。
同時に、信じている人達のような人生の状況になることを恐れて神仏を敬遠している集合意識もあって、
人生が生きづらくなっても、なるだけ神仏には関わらずに自力で苦難を乗り越えようとする。
最後のギリギリの所で救いを求めるのが神仏ではなく親なのが、今の日本人の特徴だという話を聞いたことがある。
自分を救ってくれる神が必要か?必要じゃないか?
でも本当のことを言ってしまえば、どちらも神への条件付けでしかない。
神への条件付けが悪いとかではなく、ただそこには欠如しやすい観点がある。
相手の観点から相手を観るという観点だ。
例えば自分の親のことを、自分を愛してくれる親が必要か?必要じゃないか?という観点から観ている限りは、親の存在を本当に観ることにはならないだろう。
そこに観ているのは自分と相手との条件付けられた関係だけだ。
親のことを親自身の観点から観たら、
親であるその人の存在は、子を愛そうとする親であり、同時に親に愛されようとする子でもあり、その両者が一つに交わろうとする愛でもある。その人には、親として子として愛として何かが足りなくても精一杯に生きる人間の自分が観えるだろう。
同じように神を神自身の観点から観ると、そこに無条件に自己充足している神の三位一体が観える。
その三位一体を、人もこの世も神もすべて条件付けて観てしまう自分に重ねた時に、無条件に愛し愛され愛し合う あなたを思い出すんだ♡
父と子と精霊の無条件の愛のトリニティ♬

僕は本来論理でものを語る人ではなく、想像力やビジョンでものを語る人です

タイトルの通り、僕は本来、魔術的な、呪文的な隠された知識をわざと隠しながらそれとなく、人々の想像力に訴えてゆくという手法を最も得意としています。
それゆえ、僕が普段触れている知識の3割ぐらいが、オカルト的な知識であったり、魔術的な哲学であったり、普通の人が理解できないような世界観な度にも触れています。
もちろん普通の人たちが、学ぼうと思える、プラトンなどから始まるメインストリームの哲学も学んでいます。
僕は、このようなメインとそれ以外の世界観や、倫理学、を用いて人々の価値観、行動規範を作り替え、より良い世界へ導いていくことを使命としています。
それゆえに、僕が普段考えていることは決して論理的ではなく、論理を超えた、感覚として文章や、言葉になります。
そのような哲学的なニューエイジ的な世界観を表現するのには、論理は不適切なのです。
スピリチュアルなブログに作り替えようか、検討中です。

[僕の昔のあだ名は賢者とか魔術師とかでした[黒い方])

雑記

自分の周りだけが幸せならばそれでよいのでしょうか
ナショナリズムの広まりにしても
他者への不寛容さにしても
最近の日本は、他者に対する差別が表面化してきたなと感じます
せかいもそうですが
自分と異なる価値観を認めなかったり
一人一人が理想とする世界の像を抱いているのに
それぞれの理想を無視して
自分たちの理想を絶対化して押し付けたり
そういうのはやめてほしいです

くそこらぐらんぷりのよかった点 悪かった点

確かに成功した
言葉の通じぬものたちは、無視するのが一番
テロリストは人種ではなくただのアイデア
イデオロギーをもう目的に信じている人たちはテロリストの予備軍
くそこらはあらゆる宗教を相対化する
イスラム国の弱体化 に成功したところはよかった
悪かった点
人は何かを信じないことには生きて行けないせいぶつである
故に宗教なき人は自殺する
イスラム国を風刺するときに
イスラム教を風刺するのではなく
Isilを風刺してます
イスラムのみなさん誤解しないでくださいと
イスラム教徒への配慮があってもよかったと思う
プロフィール

フリードリヒ

Author:フリードリヒ
大学で政治学、社会学、心理学、文化について学んでいます!
最終目標は、世界連邦共同体の設立です。
一刻も早く、誰もが幸せになれる、戦争のない、あらゆる人達の生存権が保証される世界を目指して。

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